〜ショパンクイズ解答〜
ショパンの生涯、人となり、作品、ショパン弾きのピアニスト、ショパン国際ピアノコンクールなど、
ショパンに関するあらゆる題材を扱ったクイズです。
誰でも正解できる易しい問題から、通の方も思わず??となってしまうようなひっかけ問題もありますが、
マニアックな固有名詞を問うような無意味な設問はできるだけ避け、
皆さんが楽しめるようなクイズ作りを心がけました。
とは言ってもこの程度は知っていてほしいという固有名詞はあえて取り上げています。
是非、楽しんでいって下さい。
なお、クイズ作成は万全を期したつもりですが、中には管理人の思い違い、出題ミスがあるかもしれません。
それに気付いた慧眼な方は管理人までご一報いただけると助かります。
第1部:ショパンの人生と人となり・信念
第1問 ショパンは一般に何と呼ばれていますか?
@ピアノの魔術師
Aピアノの詩人
Bピアノの貴公子
Cピアノの達人
解答:A「ピアノの詩人」
解説
これは皆さん、即答ですよね。正解はもちろん、A「ピアノの詩人」です。
ショパンほどピアノという楽器だけに終生こだわり続けた作曲家は古今東西、他に誰もいないと言ってよいと思います。
ショパンの作品は同時代の他の作曲家の作品と比べて規模が小さく、ロマンティックで詩情豊かな旋律と和声に満ちており、
それがまるで「詩」をイメージさせることから、「ピアノの詩人」と呼ばれています。
他の選択肢、@「ピアノの魔術師」は同時代の作曲家フランツ・リストの呼称です。
Bピアノの貴公子、Cピアノの達人は数合わせの選択肢に過ぎません。ショパンは雰囲気からは「貴公子」ですし、
ピアノの達人であったことも間違いありませんが、このように呼ばれることはありません。
第2問 ショパンの音楽はクラシック音楽において一般に次のどれに分類されますか?
@バロック
A古典派
Bロマン派
C近代・現代
解答:B「ロマン派」
解説
ショパンの生きた時代(1810年〜1849年)は、時代的にはロマン派初期に該当します。
ショパンと同時代の作曲家としては、1809年生まれのフェリックス・メンデルスゾーン、1810年生まれのロベルト・シューマン、1811年生まれのフランツ・リスト、
1813年生まれのリヒャルト・ワーグナーなどがいます。彼らもロマン派に分類されます。
この4つの分類は時代による分類と作風による分類があり、時代に逆行する作風の作曲家の場合、また逆に時代を先取りする作風の作曲家の場合は、
議論が分かれることがありますが、ショパンの場合は、時代的にも作風的にも、B「ロマン派」とするのが通説です。
しかし、一般的にはロマン派の作曲家は文学や他の芸術との関連を意識して、作品に具体的な物語性を持たせ、表題を付けたりすることに積極的なことが多いのに対して、
ショパンはそのような表題性や物語性を嫌い、純粋にピアノの音でのみ語るという純音楽に徹しました。
その点、ショパン自身は自分のことを古典派と認識し、他の同時代の作曲家の音楽に対する姿勢に大いに反対していたようです。
その意味でショパンをロマン派と呼ぶのはためらわれますが、純粋に音楽として見た場合、ショパンの作品は詩情豊かでロマンティックで起伏も大きく、
明らかに古典派とは一線を画しています。
天国のショパンは不本意かもしれませんが、僕はショパンはロマン派と認識しています。僕がショパンを他の作曲家よりも圧倒的に好きな理由も、
その音楽の持つ孤高のロマンティシズムとピアニスティックな魅力にあります。
第3問 ショパンの音楽に対する姿勢に関する次の記述のうち誤りを含むものはどれですか?
@古今東西の作曲家の中でピアノへの傾倒ぶりは突出している
Aショパンは自分をロマン派ではなく古典派だと思っていた
Bショパンはピアノの教育には関心がなく作曲活動・演奏活動に専念していた
Cショパンは自分の作品にタイトルを付けることを嫌っていた
解答:Bショパンはピアノの教育には関心がなく作曲活動・演奏活動に専念していた
解説
@「ピアノへの傾倒ぶり」ここまでピアノ曲の作曲に専念した作曲家はショパン以外に誰もいないと思います、
その意味でショパンは唯一無二の存在です。
A、Cショパンは自分のことを古典派だと言っていたそうです。バッハやモーツァルトに傾倒し、
その一方で文学やその他の芸術を音楽に取り入れ標題音楽を好んで作曲した他のロマン派作曲家と異なり、
ショパンは自らの作品にタイトルを付けるのを嫌い、抽象音楽を貫きました。
僕自身、そして多くの人はショパンの作風はロマン派と考えますが、ショパン自身はそうではなかったそうです。
Bこれが誤りです。ショパンはピアノ教育にも関心があり、弟子を取ってピアノの教育を行ったり、
エチュード集を書いてピアノ上達のメソッドを確立しようと試みていました。
第4問 次のうちショパンが最も尊敬していた作曲家は誰?
@バッハ
Aベートーヴェン
Bヘンデル
Cハイドン
解答:@バッハ
解説
ショパンはバッハの音楽を尊敬し、平均律クラヴィーア曲集を愛し、また研究していたようです。
それが実を結んだのが「24の前奏曲」でした。
従って、正解は@バッハです。
他の選択肢は数合わせですが、ショパンはベートーヴェンの作品はあまり好きではなかったようです。
これは何となく分かるような気がしますね。
第5問 ショパンは何人兄弟(姉妹含む)ですか?
@1人っ子
A2人
B3人
C4人
解答:C4人
解説
ショパンには姉が1人(ルドヴィカ)、妹が2人(イザベラ、エミリア)がいました。
ショパンはきょうだいの中でたった1人の男の子でした。
それがショパンの生来の繊細さをさらに際立たせる要因になったのではないかと思います。
第6問 ショパンの生家があるのはどこ?
@ワルシャワ
Aブレスラウ
Bジェラゾヴァ・ヴォラ
Cノアン
解答:Bジェラゾヴァ・ヴォラ
解説
ショパンはポーランドの首都ワルシャワの近郊ジェラゾヴァ・ヴォラという村で生まれました。
従って正解はBです。
第7問 ショパンの父ニコラの出身は?
@ポーランド
Aフランス
Bロシア
Cドイツ
解答:Aフランス
解説
ショパンの父のルーツはポーランドにあるようですが、フランス出身で、
ポーランドに移住して、そこで没落貴族の娘ユスティナ・クシジャノフスカと出会い、結婚しました。
第8問 ショパンと同じ年に生まれた作曲家は次のうち誰?
@リヒャルト・ワーグナー
Aロベルト・シューマン
Bフランツ・リスト
Cフェリックス・メンデルスゾーン
解答:Aロベルト・シューマン
解説
生誕年は@ワーグナー1813年、Aシューマン1810年、Bリスト1811年、メンデルスゾーン1809年です。
第9問 ショパンが幼い頃、母親の弾くピアノを聴いたとき、どんな反応を示したでしょうか?
@うるさいからやめてと止めた
A無関心だった
Bピアノに合わせて歌い出した
Cわっと泣き出した
解答:Cわっと泣き出した
解説
これは意外だったでしょうか。泣き出したのは嫌だったからではなく、
ピアノの音が心に響きすぎて感動してどうしようもなかったからだそうです。
幼い頃からピアノが大好きだったことが分かる素敵なエピソードですね。
第10問 ショパンは子供時代、どんな子供だったとされていますか?
@わんぱくな子供
A夢見がちで泣いてばかりいる子供
Bピアノ一筋で孤独な子供
C物まねや絵が好きで元気な普通の子供
解答:C物まねや絵が好きで元気な普通の子供
解説
ショパンの繊細さや孤高で孤独なその後の人生からは、何となくAやBを選びそうになりますが、
子供の頃は結構元気だったそうです。
特に教師を風刺画的に描いた絵はひょうきんで秀逸ですし、
物まね(声帯模写)が大の得意で、周囲の人を笑わせていたそうです。
声帯模写はショパンの抜群の音感も大いに生きたのではないかと思います。
第11問 ショパンが長年患っていたとされる病気の名前は?
@腸結核
A肺結核
B粟粒結核
C結核性胸膜炎
解答:A肺結核
解説
ショパンの持病は肺結核だったそうです。喀血を繰り返す青白く華奢で憂鬱そうなショパンのイメージ。
しかし当時の医学で肺結核を診断することが可能だったのか、謎です。
結核菌を証明するのではなく臨床診断だったわけですから、「疑い」診断ですね。
これには後に異説が現れたのをご存知の方も多いと思います。
第12問 ショパンが属していた音楽院の名前は?
@カトーヴィツェ音楽院
Aワルシャワ音楽院
Bショパン音楽アカデミー
Cパリ音楽院
解答:Aワルシャワ音楽院
解説
これはただの知識問題です。@〜Bはポーランドに今もなお現存する音楽院。Cはフランスです。
第13問 ショパンの才能に驚嘆した
シューマンが、「ドイツ新音楽新報」という音楽誌の誌上で、彼を紹介するときに言い放った
言葉は次のうちどれですか?
@みなのもの、ここにピアノの神が現れた!!
A彼はこう見えて実に豪快にピアノを鳴らし切るテクニックをもった名手だ
B諸君、天才だ。脱帽したまえ
C一同のもの、ピアノの神の御前である。頭が高い、ひかえおろ〜
解答:B諸君、天才だ。脱帽したまえ
解説
ショパンと同時代(というより同い年)の作曲家ロベルト・シューマンは作曲、演奏の他に
執筆活動にも積極的で、ドイツの音楽誌でも自説を展開していたそうです。
音楽の中心地ドイツにいたシューマンは、ショパンの才能に驚嘆し、
読者に対して「諸君、天才だ。脱帽したまえ」と書いたそうです。
これは日本語訳なのでオリジナルのドイツ語のニュアンスは分からないのですが、
もし同じような高圧的な語り掛けなのだとしたら、
シューマンはどうしてこうも偉そうに語ったのか・・・
僕の想像では、シューマンはそれだけショパンの才能を高く評価し、
インパクトの強い言葉でショパンをプロモーションしたかったからではないか、と思います。
「俺の耳や感覚に間違いはない」というシューマンの絶対の自信も現れていて、
なかなか興味深いエピソードです。
第14問 前問でのシューマンの賛辞はショパンの次のどの作品に対するものだったでしょうか?
@エチュードOp.10-12「革命」
Aポーランド民謡の主題による幻想曲
B「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ」による変奏曲
Cピアノ協奏曲第2番
解答:B「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ」による変奏曲
解説
シューマンがショパンのことを「天才」と呼んだのは、
この曲に対する感想だったそうです。
現在、あまり耳にすることのない管弦楽付きのピアノ曲なのですが、
ピアニスティックでなかなか良い曲です。
でもこの1曲を聴いただけで「天才」と断言してしまうのは、
やや勇み足のような気もしなくはありませんが・・・
第15問 ショパンは音楽院時代、思いを寄せている女性がいました。
その女性はショパンの初恋の人として知られていますが、その女性の名前は?
@ユスティナ・クシジャノフスカ
Aマリア・ヴォジンスカ
Bコンスタンツェ・ヴェーバー
Cコンスタンツィア・グワドコフスカ
解答:Cコンスタンツィア・グワドコフスカ
解説
これは単なる知識問題です。
数合わせの選択肢は全て実在した女性です。
@ユスティナ・クシジャノフスカはショパンの母親、Aマリア・ヴォジンスカはその後の恋人、
Bコンスタンツェ・ヴェーバーはモーツァルトの奥さんです。
第16問 ショパンの初恋の女性は音楽院の何科だったでしょうか?
@ピアノ科
A作曲科
B声楽科
Cオルガン科
解答:B声楽科
解説
ショパンの初恋の人コンスタンツィア・グワドコフスカは
ショパンと同じワルシャワ音楽院に通う声楽科の女性でした。
ただ声楽家の学生としては平凡で、他の男と遊んだりしている不真面目なところがある女性だったそうです。
とある伝記では「ショパンともあろう人が、何故、このような女性に思いを寄せるようになってしまったのか、
全く理解できない」という意味の記述を目にしたことがありますが、
「男って、そんなもんでしょう」と僕は思いました。
聖人ショパンだって男の心を持った普通の男性なんですよ。
第17問 ショパンの初恋の女性を思いながら書いた曲は次のうちどれ?
@ワルツ第3番イ短調Op.34-2
Aワルツ第9番変イ長調Op.69-1「別れのワルツ」
Bワルツ第10番ロ短調Op.69-2
Cワルツ第13番変ニ長調Op.70-3
解答:Cワルツ第13番変ニ長調Op.70-3
解説
「これは不幸なことかもしれないのだが、今、僕には理想の女性がいる。
彼女のことを夢に見、彼女のことを思いながら今朝、ワルツを書いた。これを君に送ろうと思う」
これはショパンが友人に当てて書いた手紙の一部です。
この「ワルツ」というのが、Cワルツ第13番変ニ長調Op.70-3です。
とてもロマンティックで美しいワルツです。
中間部は左手のテノールが旋律を担いますが、この旋律が心に迫ってきます。
高いところに手を伸ばそうとして、最高音E♭まで達するわけですが、
この辺り、「高嶺の花に手が届かない」というショパンのどうしようもないやるせない片思いの感情が
胸に迫ってくるようで、目頭が熱くなります(ちょっと油断すると涙が流れます)。
これはショパンの片思いのやるせない気持ちが作品の中で昇華された名曲です。
第18問 ショパンが初恋をしたときの心境はどのようなものだったでしょうか?
@とても幸せに感じていた
A気持ちが上ずってピアノどころではなくなっていた
B自分の気持ちの変化に自らが驚いていた
C不幸なことかもしれないと思い憂鬱だった
解答:C不幸なことかもしれないと思い憂鬱だった
解説
これは先程、ショパンが友人に宛てて書いた手紙の内容「これは不幸なことなのかもしれないのだが、僕には理想の女性がいる」
という一文が解答の根拠になっています。この言葉に嘘がないことは、
前述したワルツ第13番Op.70-3や同じような気持ちで書いたとされる
ノクターン第20番嬰ハ短調遺作(レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ)、ピアノ協奏曲第2番へ短調Op.21を聴けば
よく分かります。
初恋を@とても幸せに感じる、というのは、きっと一般的に少ないでしょうね。
またAやBはピアノ男子にありがちのような気がしますが、ショパンはそうではなかったのは
数々のエピソードが物語っています。
第19問 その初恋の人はショパンの死後、ショパンが自分を愛していたことを知ったとき、どのように反応したでしょうか?
@しばしの沈黙の後、大号泣した
A彼女は驚いて「彼は天才で素敵で私も好きだった、告白してくれたらよかったのに・・・」と悲しそうだった
B「彼は空想にばかり耽っていて頼りにならない人だった」と無関心だった
C「ショパン?思い返してみれば確かにそんな人いましたね」と語った
解答:B「彼は空想にばかり耽っていて頼りにならない人だった」と無関心だった
解説
これは知っているかどうかを試すだけの知識問題です。
当の本人は、ショパンほどの人に片思いされていたことを初めて知ったときも、特に感情は動かなかったそうです。
「彼は空想にばかり耽っていて頼りにならない人だった」と無関心だった・・・
それなら、万一、告白したとしてもフラれて終わっていたでしょうから、
ショパンは自分の胸の内に秘めて正解でしたね。
それが名曲という最高の形で昇華されたわけですし。
しかーし!!
「決定版・ショパンの生涯」という詳細な伝記には、ショパンがグワドコフスカに告白したという記述があって、
あれを読んだときは、あまりの衝撃でひっくり返りそうになりました。
この伝記は最新の研究結果を反映したものだそうですので、
このエピソードはどこまで信じてよいのか、ですね。
第20問 ショパンが20歳でポーランドを出るときの心境は?
@ほんの少し出かけてくるだけでまたここに必ず戻ってくる
A一度ここを出ると二度と帰れなくなるような気がする
B愛するポーランドなのだから何があろうと万難を排してここに戻ってくる
Cこれでやっと一流音楽家を目指して田舎から世界に羽ばたける
解答:A一度ここを出ると二度と帰れなくなるような気がする
解説
ショパンの祖国ポーランドは、ロシア、ドイツ、オーストリアに国土を三分割支配され、
常に列強に虐げられていた悲運の国です。
そんなポーランドがロシアに反乱・革命を企て、ショパンが20歳になる頃、
一触即発の危機に陥っていたそうです。
ショパンは愛するポーランドのために自らも兵士に志願しようかと本気で考えたそうですが、
周囲がそれを阻止し、ショパンを危機から逃れさせるために計画してくれたそうです。
そうしてショパンは後ろ髪引かれる思いでポーランドを立つわけですが、
その別れの瞬間、「ここを出るとポーランドとは永遠の別れになってしまうような気がする」
と予感したそうです。大変残念なことに、その「予感」は現実のものとなってしまうわけですが、
ショパンはポーランドを離れても、祖国ポーランドのことを片時も忘れたことはなく、
それはその後、ショパンが書いた作品たちが何より物語っています。
第21問 ショパンが少年時代を過ごしたポーランドを支配していた国ではないのは?
@トルコ
Aロシア
Bドイツ
Cオーストリア
解答:@トルコ
解説
ショパンの祖国ポーランドは、ロシア、ドイツ、オーストリアに国土を三分割支配され、
常に列強に虐げられていた悲運の国でした。
トルコは地理的に遠いですし、外れの選択肢としてはよくなかったかも・・・
第22問 ショパンが恋した女性とは最も考えにくい女性は次のうち誰?
@マリア・ヴォジンスカ
Aデルフィーナ・ポトツカ
Bジョルジュ・サンド
Cジェーン・スターリング
解答:Cジェーン・スターリング
解説
@マリア・ヴォジンスカは婚約まで交わした女性。僕自身は、ショパンが生涯で最も愛したのは
この人ではないかと思っているほどです(根拠はありませんが)。
Aポトツカ夫人はポーランド貴族出身の絶世の美人とされる人です。
ショパンはこの人に小犬のワルツ、ピアノ協奏曲第2番と2曲を献呈しており、
パリに移ってからも度々会っていたという記録が残っています。
そこに恋心が芽生えていたとしても不思議ではない、いやそう考えるのが妥当そうです。
この辺りは「贋作・ショパンの手紙」という本に詳しく書いてあります。
Bジョルジュ・サンドはショパンの生涯を語る上で、絶対に外せない、
まさに主要登場人物です。ショパンの恋人というより、ショパンの面倒を見る母親、看護師
としての役割がクローズアップされますが、同棲生活もしており、
紛れもない恋人です。
Cジェーン・スターリングは、1848年ショパンの死の前年、
イギリスに演奏旅行した際に出会ったイギリス貴族の娘で、
ショパンに猛烈に惹かれ、執拗なアプローチを受けていたそうです。
しかしショパンはこの人には全く関心はなく、
しまいには「彼女は僕に似すぎている。自分自身にキスなどできるものか」
と言い、呆れていたそうです。ショパンはこの人に全く関心がなかったのは明らかで、
この人と関係を持ったという記録も全く残っていないそうです。
第23問 ショパンは生涯1度だけ婚約を交わしましたが実りませんでした。その理由として明らかに不適当なものは
次のうちどれですか?
@婚約相手への思いが冷めた
A身分が違いすぎた
B某男装麗人女流作家との交際が噂されていた
C婚約相手の親から気に入られなかった
解答:@婚約相手への思いが冷めた
解説
ショパンが生涯1度だけ婚約を交わした相手は、もう既に登場していますが、
ポーランド貴族の娘マリア・ヴォジンスカです。
A〜Cは婚約破棄の理由として、ショパンの各種の伝記で記述されているものです。
一方、@婚約相手への思いが冷めた・・・これだけは絶対にないと言い切れる根拠があります。
ショパンがマリア・ヴォジンスカのことを生涯愛し続けていた根拠・・・
それはマリアとの交際期間中にマリアからもらった手紙を大切にしまい、
その上に「我が悲しみ:moja bieda」と書いてリボンで括り、
生涯、片時も離すことなく持ち続けていたというエピソードが何より物語っています。
ショパンがマリアに送ったワルツ(第9番変イ長調Op.69-1「別れのワルツ」)を
生涯2人だけの特別な思い出として心にしまい込み、出版しなかったのも、
いかにこの人を愛していたかが分かる悲しいエピソードです。
僕はこの話を初めて聞いたとき、どうしようもなくなり、
自分の部屋に入り号泣してしまいました。
選択肢についてA〜Cは諸説ありますが、@だけはないと言い切れる根拠がこれだけあります。
第24問 ショパンのワルツ第9番「別れのワルツ」に関する次の記述の中で誤りを含んでいるものを選んで下さい。
@恋人に捧げた愛の抒情詩である
A恋人との婚約が破棄されたとき「思い出」として作曲し自分の胸にしまい込んだ
Bショパンは初めからこの曲を出版するつもりはなかった
Cこの作品の中には不幸な結末を予感させる部分が垣間見られる
解答:A恋人との婚約が破棄されたとき「思い出」として作曲し自分の胸にしまい込んだ
解説
既に第23問の解説に書いた通りです。
この作品は「別れのワルツ」あるいは「告別」という副題がついており、
これはマリア・ヴォジンスカとの婚約が破棄され、叶わなかった悲恋を意識したタイトルですが、
これが誤解を招く原因になってしまっています。
「別れ」とは言いますが、この作品は別れることが決まってから作曲したものではなく、
幸せな交際期間中にマリアへの思いを綴った抒情詩です。
第23問の解説にも書いたように、ショパンはこの作品を2人だけの思い出としてしまい込み、
出版するつもりはありませんでしたが、死後、ショパンの草稿からこの作品が発見されて出版されたという経緯です。
Cこの作品の中には不幸な結末を予感させる部分が垣間見られる、これは解釈が分かれますが、
変イ長調という憂いを帯びたロマンティックな調性が使われており、この作品自体がまるで夢のような雰囲気を醸し出していて、
儚い響きに満たされていて、決して明るいとは言えない雰囲気であることから、僕自身はそのように感じています。
いずれにしてもAが誤りであるため、これが正解です。
第25問 ショパンは恋人のマリア・ヴォジンスカから受け取った手紙を束にして、そこにある言葉を記して生涯大切に持ち歩いたそうです。
ではその言葉は次のうちどれですか?
@我が愛しき恋人
A我が思い出
B我が悲しみ
Cとわの愛
解答:B我が悲しみ
解説
これも第23問の解説に書いた通りです。
「我が悲しみ」。どれだけ悲しかったことか・・・
ショパンの気持ちを想像すると、悲しみのあまり胸が張り裂けそうになります。
第26問 ショパンはリストの愛人ダグー夫人の催す夜会で運命の人ジョルジュ・サンドと知り合いますが、
そのときのサンドの第一印象を彼はどう言っていましたか?
@冷たく輝く瞳がきれいな人だった
A何て感じの悪い女なのだろう、本当にあれで女なのだろうか?
B妙に取り澄ましているところが逆にそそられる
C暴力的な女だ
解答:A何て感じの悪い女なのだろう、本当にあれで女なのだろうか?
解説
ジョルジュ・サンドは黒い服装に身をまとい男のような雰囲気を醸し出していたそうです。
ジョルジュ・サンドは「男装の麗人」とも形容されます。
その肖像画を見ると、鼻筋が通っていて「麗人」と呼ぶに相応しい美人です。
しかし葉巻をくゆらせ周囲に男をはべらせ、澄ましていて無愛想で冷たい印象だったそうです。
その第一印象がA「何て感じの悪い女なのだろう、本当にあれで女なのだろうか?」でした。
その女性がその後、ショパンの生涯の恋人になるのですから、運命というのは不思議なものですね。
第27問 前述のダグー夫人は、ショパンの第一印象を何と言っていたでしょうか?
@うすばかげろうのような人
A野イチゴのような人
B牡蠣(カキ)のような人
C月見草のような人
解答:B牡蠣(カキ)のような人
解説
ショパンという人は、晩餐会や夜会などの社交界でも、自分をさらけ出すようなことはせず、
笑顔を作り、人の話を聞くだけだったそうです。
それを見たリストの愛人ダグー夫人はそんなショパンの様子を見て、
「あの人がどんな人なのか分からない。まるで牡蠣のような人ね」と言ったそうです。
他の選択肢は数合わせのナンセンスなものです。
第28問 ジョルジュ・サンドに関する次の記述の下線部で正しいものはいくつですか?
ジョルジュ・サンドはショパンより年上で、バツイチ、子持ちの女性であった。
@全て誤り
A正しいのは1つだけ
B正しいものは2つある
C全て正しい
解答:B正しいものは2つある
解説
ジョルジュ・サンドは1804年生まれ、ショパンより6歳年上。
ジョルジュ・サンドには夫がいますが、想像力のかけらのない夫に嫌気がさして
事実上の離婚状態だったと言います。籍は外していないため、バツイチではないです(事実上バツイチと言っても良いですが)。
ジョルジュ・サンドにはモーリスという男の子とソランジュという女の子がいました。
この2人の子供との確執でジョルジュ・サンドとショパンは後に対立するようになり、確執が生じて、最終的には破局となってしまいます。
この問題、「バツイチ」というのをどう考えるかがポイントですが、やや不適切というか、重箱の隅をつつくような問題となってしまいました。
実際問題として、B、Cどちらでも正解で良いでしょう。
第29問 ショパンは1839年、瀕死の状態でマジョルカ島への逃避行からサンドと戻りました。
その帰途使ったと言われる交通手段は?
@ロマンチックな恋物語の最後を飾るに相応しい熱気球
A地中海を一望できる遊覧船
B丸太で組んだ自作のイカダ
C最悪な臭気を放つ多数の養豚が同乗する船便
解答:C最悪な臭気を放つ多数の養豚が同乗する船便
解説
Cが正解で、@〜Bは半分冗談のつもりで面白半分に作った誤答肢です。
マジョルカ島での滞在中、ショパンの病状は悪化し、瀕死の状態になったと伝えられています。もうこれ以上、
滞在すると命があぶない、そう感じたサンドは、彼を抱え、次の旅客便を待って急いで戻る決意をしました。
しかし、マジョルカ島の次の交通は運悪く養豚運搬便。これに乗って帰らざるを得ない状況だったそうです。
船室に漂う臭気で彼の結核の症状はさらに悪化したと言われています。
第30問 ショパンとジョルジュ・サンドの破局の原因として明らかに不適当なものは次のうちどれですか?
@思想・主義の違い
A家庭内の不和
B互いの気持ちが冷めてきた
Cショパンに新しい愛人ができた
解答:Cショパンに新しい愛人ができた
解説
ショパンとジョルジュ・サンドの関係は徐々に険悪になってきた原因は、
ジョルジュ・サンドの2人の子供、モーリスとソランジュが絡んだ家庭内不和でした。
上の息子モーリスはショパンに敵対してサンドの側につき、
その一方で娘ソランジュはショパンの気を引こうとショパン側につき、
ショパン・ソランジュ対サンド・モーリスの図式で、何かにつけて対立していたそうです。
@〜Bまでは一般に言われていますが、C「ショパンに新しい愛人ができた」
という事実はないようです。
第31問 ショパンとジョルジュ・サンドに関する次の記述のうち、明らかに誤りを含んでいるものはどれですか?
@初め会ったときショパンはサンドに興味がなかった
Aサンドの役割は「恋人」から「母親」、「看護師」に変わっていった
Bショパンはサンドを愛する気持ちが最後まで残っていた
Cサンドはショパンの死の床で悲嘆にくれた
解答:Cサンドはショパンの死の床で悲嘆にくれた
解説
一見、ありそうなCが実は誤り、というのは意外だったでしょうか。
「え?以前の恋人が死んで悲しくないの?」とびっくりした方は純情派ですね。
ジョルジュ・サンドは病弱なショパンの看病や世話をする「母親」、「看護師」の役割に
変わっていったと言われているため、Aは○です。
しかし破局した後は全く赤の他人だったようで、
ショパンの死の知らせを聞いても、病床にも駆けつけず、
葬儀にも参列しないという徹底ぶりでした。
ショパンの葬儀の参列者は3000人とも言われていますが、
その中に、ショパンの生涯を語る上で、圧倒的ナンバーワンの女性の姿がない
というのは、あまりにも寂しいですし、悲しくなります。
それでは、ショパンの方はどうだったでしょうか。
実はショパンは自分の手帳(日記?)にジョルジュ・サンドの髪の毛を挟んで
大切に大切にしまっていたそうです。ショパンにはサンドを愛する気持ちが
残っていたことがよく分かる、聞くたびに悲しくなるエピソードです。
@「初め会ったときショパンはサンドに興味がなかった」
これは○です。
「何て感じの悪い女なのだろう、本当にあれで女なのだろうか?」という第一印象だったことは
第26問で既に説明した通りです。
第32問 ショパンは二月革命のあった1848年、弟子に呼ばれてイギリスへ旅立ちました。
その弟子は彼を熱愛していた様子ですが、彼の方はどう思っていたでしょうか?
@僕の容姿もなかなか捨てたものではないな
A僕はもうじき死ぬが生まれ変わったら結婚したかった
B彼女は僕に似すぎている。自分自身にキスなんてできるものか
C僕にはもう女性を愛するエネルギーなんかない
解答:B彼女は僕に似すぎている。自分自身にキスなんてできるものか
解説
これは第22問の類題、使いまわしです。
この弟子の女性はジェーン・スターリング嬢で、ショパンのことを溺愛していましたが、
ショパン自身は全く関心がなく、かえってうっとうしく思っていました。
そして、しまいにはB「彼女は僕に似すぎている。自分自身にキスなんてできるものか」
という冗談ともつかない言葉を吐き捨てました。
@「僕の容姿もなかなか捨てたものではないな」ショパンはおしゃれに非常に気を遣う
ダンディなイケメンだったため、そう思っていた可能性は高いですが、
このシチュエーションでは不適切です。
A「僕はもうじき死ぬが生まれ変わったら結婚相手にしたかった」
このうち前半「僕はもうじき死ぬ」という予感はあったと思いますが、
「結婚したかった」とは1ミリも思っていなかったはずです。
C「僕にはもう女性を愛するエネルギーなんかない」:
この時点でショパンの病状はかなり進んでいましたが、
ジェーン・スターリング嬢に関心がなかったのは、女性を愛するエネルギーがなくなったからではなく、
ただ単純に、女性として惹かれる点がなかったということのようです。
第33問 ショパンの臨終の場にいなかったとされるのは次のうち誰ですか?
@姉ルドヴィカ
Aジョルジュ・サンド
Bサンドの娘ソランジュ
C弟子グートマン
解答:Aジョルジュ・サンド
解説
これは第31問の使いまわしです。ジョルジュ・サンドはショパンの死の知らせを聞いても、
病床に駆けつけず葬儀にも参列しなかったということです。
「ひどい女だ」という感想を持つ人もいるでしょうし、
「破局した相手なんてそんなもんでしょう」と思う人もいるでしょうね。
ここではジョルジュ・サンドのこの判断・行動の善悪は議論しないでおきます。
第34問 ショパンの最後の言葉は?
@もっと光を
Aお母さん、かわいそうなお母さん
B喜劇は終わった
Cポーランドに帰りたい
解答:Aお母さん、かわいそうなお母さん
解説
ショパンの最後の言葉、A「お母さん、かわいそうなお母さん」だそうです。
最近になり異説が出てきたそうですが。
「先立つ不孝をお許しください」という心境だったのか、
年老いた母親を残して先に天に旅立つのが、母親をどれだけ悲しませるか、
ショパンはそれを案じていたのだと思います。
母親思いの優しい青年ショパンの人となりが分かる悲しいエピソードです。
他の選択肢、「@もっと光を」はゲーテ、「B喜劇は終わった」はベートーヴェンです。
「Cポーランドに帰りたい」これはもっともらしい誤答肢。
実際はポーランドに帰りたいという気持ちは強かったのだと思いますが、
ショパンの最後の言葉ではありませんでした。
第35問 ショパンはポーランドへの帰国の夢が叶わずに異国の地フランスで亡くなりましたが、
ショパンの身体の一部は姉ルドヴィカによってポーランドに持ち帰られ、
聖十字架教会の柱に埋め込まれました。その身体の一部は次のうちどれでしょうか?
@手
A頭蓋骨
B肺
C心臓
解答:C心臓
解説
ショパンは20歳でポーランドを後にする際、「一度、ここを出たら二度と戻れないような気がする」
と思ったそうです。ポーランド出国後、異国の地フランスで、ポーランドのことを思いながら
望郷の念に駆られ、ポロネーズやマズルカを作曲し続けました。
そして不幸なことにショパンのその予感は現実のものとなってしまい、
二度とポーランドの土を踏むことなく、異国の地フランスで亡くなりました。
何故、それほどポーランドのことを思いながら、帰国しなかったのか。
その理由についてはっきりと説明した文献はいまだに見たことがないです。
いずれにしてもショパンがポーランドに帰りたがっていたことは事実で、
ショパンの心臓が抜き取られて、姉ルドヴィカがポーランドに持ち帰り、
聖十字架協会の柱に埋め込まれました。
第36問 1849年10月30日、パリ・聖マドレーヌ寺院で行われたショパンの葬儀で演奏された曲目
は次のうちどれでしょうか?
@モーツァルト「レクイエム」
Aベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」
Bグレゴリオ聖歌
Cバッハ「マタイ受難曲」
解答:@モーツァルト「レクイエム」
解説
これはショパンの生前の希望だったそうです。
ショパンの命日は10月17日で、ショパン国際コンクール開催期間中、
この日は第3次予選と本選の間に休日として設け、
この日はワルシャワフィルハーモニーホールで、
ワルシャワフィルハーモニー交響楽団がこの曲を演奏するのが
毎回恒例の行事となっています。
これもショパンの生前の希望から、葬儀でこの曲目が演奏された流れを
受け継いだものと思います。
第37問 1849年10月30日、パリ・聖マドレーヌ寺院で行われたショパンの葬儀で演奏された曲目でないのは次のうちどれですか?
@プレリュード第4番ホ短調
Aプレリュード第6番ロ短調
Bピアノソナタ第2番〜第3楽章「葬送行進曲」
Cポロネーズ第4番ハ短調Op.40-2
解答:Cポロネーズ第4番ハ短調Op.40-2
解説
@〜Bはショパンの葬儀で実際に演奏されたという記録があります。
Cはいかにも、という曲ですね。引っ掛けの選択肢ですが、
これが正解(演奏された曲目ではない)です。
第38問 ショパンが作品を2回以上献呈した人物を次の中から1人だけ選んで下さい。
@ジョルジュ・サンド
Aロベルト・シューマン
Bフランツ・リスト
Cデルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人
解答:Cデルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人
解説
ショパンにとって重要な人物を並べましたが、その中で知名度が一番低いのはCデルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人ですね。
自らの作品を2回以上献呈するということは、ショパンにとって、それだけ重要な人物と言ってもよさそうですが、
それがCデルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人というのは意外だったでしょうか。
この人に献呈した作品は、小犬のワルツ(ワルツ第6番変ニ長調Op.64-1)とピアノ協奏曲第2番へ短調Op.21の2曲です。
第39問 ショパンと同世代の作曲家リスト、シューマン、メンデルスゾーンの3人のうち、ショパンが積極的に認めていたのは何人?
@0人
A1人
B2人
C3人
解答:@0人
解説
リスト、シューマン、メンデルスゾーン、ともにショパンの才能を認めていました。
シューマンはショパンのことを天才と仰ぎ、「諸君、脱帽したまえ、天才だ」とショパンを紹介したくらいです。
しかしその一方で、ショパンはリストもシューマンもメンデルスゾーンも認めていなかったそうです。
3人から一方的に片思いされる、孤高の天才ショパン・・・
それはショパン自身がロマン派の作風から距離を取り、自らを「古典派」と称した、
その音楽的姿勢からもうかがい知ることができます。
第40問 次の作曲家の中でショパンより若い(遅く生まれた)作曲家は何人いますか?
シューマン、リスト、ワーグナー、ブラームス
@1人
A2人
B3人
C4人
解答:C4人
解説
ショパンの生誕は1810年3月1日(2月22日説あり)。
それぞれの生誕年はシューマン1810年6月8日、リスト1811年、ワーグナー1813年、ブラームス1833年です。
シューマンは同じ年に生まれましたが、早生まれのショパンの方が僅差で早いです。
というわけで4人ともショパンより遅く生まれたということです。
第41問 ショパンがピアノの次に愛していたと言われる弦楽器は?
@ヴァイオリン
Aヴィオラ
Bチェロ
Cコントラバス
解答:Bチェロ
解説
これは易しい問題だったと思います。
ショパンがピアノの次に愛していたのはチェロで、
チェロソナタOp.65や序奏と華麗なるポロネーズOp.3はピアノとチェロのための室内楽曲で、
これはショパンが好きだったチェロを意識的に組み入れたものですし、
実際にショパンの言葉にもそのような内容のものが残されています。
第42問 ショパンがピアノの音階で技術的に最も難しいと言っていたのは次のどの調性?(ピアノ演奏の常識問題)
@ハ長調
Aニ長調
B変ト長調
Cロ長調
解答:@ハ長調
解説
これはまあ、ショパンに限らずピアノを弾く人なら誰でもそうだと思います。
(ピアノ演奏の常識問題)と付記した意図は、
「音階で難しいのはハ長調だけど、ショパンは違うの?」という誤解が生じないように、
という配慮からです。
黒鍵がある調性の音階は、黒鍵を第3指、第4指で弾いた後、第1指を自然な形でくぐらせて白鍵に移動できるため、
スムーズにいきますが、白鍵だけの場合はそれができないため、滑らかに均質に弾く難易度が上がります。
そのようなわけで、例えばハ長調のモーツァルトのスケールが軽やかに均質に弾ける人は、かなりの上級者と言えます。
モーツァルトの曲を弾かせれば、その人のピアノのテクニックが分かると言った人はいますが、
確かに言い得ていますね。
第43問 次の調性のうちショパンが最も嫌っていたと言われる調性は?
@ヘ短調
Aニ長調
B変ニ長調
C嬰ハ短調
解答:Aニ長調
解説
これはいかにもです。ショパン自身もそう言っていたようです。
僕自身の感覚で言えば、ニ長調って、明るいだけで、あまり「含み」がない印象です。
これはイ長調にも言えますが・・・
しかし例えばピアノソナタ第3番・第1楽章の提示部の第2主題や終結部などはニ長調がとても美しく響きますね。
ところで、ヘ短調は、ショパンが最も好きだったと言われる変イ長調の平行調で、よく使われますし、
変ニ長調は夢見るようなロマンティックな旋律で、ショパンが好んで使った調性です。
嬰ハ短調は、ショパンの作品の中で変イ長調に次いで、2番目に多用されている調性です。
第44問 ショパンが自作のワルツで最も気に入っていたと言われているのは次のうちどれ?
@ワルツ第1番変ホ長調Op.18「華麗なる大円舞曲」
Aワルツ第3番イ短調Op.34-2
Bワルツ第7番嬰ハ短調Op.64-2
Cワルツ第9番変イ長調Op.69-1「別れのワルツ」
解答:Aワルツ第3番イ短調Op.34-2
解説
ショパンが気に入っていたワルツ、どれもありそうですが、
最もお気に入りだったのは、Aワルツ第3番イ短調Op.34-2だそうです。
憂鬱ですがロマンティックで含みが多く情緒豊かなこの作品、
いかにもショパンらしいという気がします。
知らなければBやCを選んでしまいそうですね。
この問題は知っているかどうかを試す目的の知識問題です。
第45問 ショパンが最も好んだピアノメーカーは?
@プレイエル
Aスタインウェイ
Bベヒシュタイン
Cベーゼンドルファー
解答:@プレイエル
解説
ショパンが好んでいたのは@プレイエルです。
鍵盤のアクションが軽く、あまり音量の出ないピアノのようですが、
これは力が弱く弱音の範囲内でロマンティックな演奏をしたと言われる
ショパンの持ち味が最も活かされるピアノだったのだと思います。
第46問 ショパンの演奏スタイルはどのようなものであったと一般的には伝えられていますか?
@超絶技巧で豪快にピアノを鳴らし切るパワフルな演奏
A抜群のキレを持つテクニックで聴く人をしびれさせるヴィルトゥオーゾ風の演奏
B音量は小さいが曲芸的ピアニズムを披露する名人芸的な演奏
C音量が小さく小規模のサロンに向いた繊細で抒情的な演奏
解答:C音量が小さく小規模のサロンに向いた繊細で抒情的な演奏
解説
前問で説明した通り、ショパンの演奏の特徴は、
大ホールには向かず、小ホールやサロン向きの、音量が小さく繊細で抒情的な演奏だったそうです。
同時代の作曲家フランツ・リストの大音量で華やかな超絶技巧の演奏とは対極にあったそうです。
第2部:ショパンの作品について
第47問 24の前奏曲Op.28に関する次の記述のうち誤りを含んでいるものはどれですか?
@ほとんどの作品がマジョルカ島で作曲された
Aバッハの平均律クラヴィーア曲集から大きな影響を受けた
B平均律における24の全ての調性を用いて書かれている
C曲の配列は5度循環形式となっている
解答:@ほとんどの作品がマジョルカ島で作曲された
解説
24の前奏曲Op.28のエピソードは、例えば雨だれの前奏曲のエピソードが示すように、
マジョルカ島でのジョルジュ・サンドとの生活(ヴァルデモーザの僧院)と
密接に結び付いているような印象がありますが、
実はマジョルカ島に渡る前に粗方作曲が済んでいたそうです。
出版社と契約を結び、この作品をある程度、完成させた後、
その前金を受け取り、マジョルカ島への旅費の一部に充てていたとも言われています。
他の選択肢:「Aバッハの平均律クラヴィーア曲集から大きな影響を受けた」、
「B平均律における24の全ての調性を用いて書かれている」
これは事実です。この曲集も平均律の24の調性を用いて書かれており、
ショパンは自分も同じように24の調性を使った作品を作りたいと考えていたことが
記録に残されています。
C5度循環形式というのは、次の曲の主音が5度上に来る(=♯記号が1つ増える、♭記号が1つ減る)
という配列のことを言います。具体的には第1番:ハ長調、第2番:イ短調(ハ長調の平行調)、
その後、♯記号が1つ付いて、第3番:ト長調、第4番:ホ短調(ト長調の平行調)、
その後、♯記号が1つ増えて、第5番:ニ長調、第6番:ロ短調(ニ長調の平行調)
と続いていきます。
第48問 ショパンの遺作の作品番号付きの作品のうち作品番号の最も若い作品はどれですか?
@小犬のワルツ
Aチェロソナタ
B幻想即興曲
CロンドOp.1
解答:B幻想即興曲
解説
遺作というのは、死後草稿が発見されて出版されたものです。
ショパンが生前出版したのは作品65まで、Op.66以降が遺作となります。
選択肢の作品番号は、@小犬のワルツ:Op.64-1、Aチェロソナタ:Op.65、B幻想即興曲:Op.66です。
従って、B幻想即興曲が正解です。
CロンドOp.1が遺作であれば、これより若い番号はないのでこれが正解になりますが、
Op.1が遺作であるはずがないですね。
第49問 「黒鍵のエチュード」全曲を通じて右手が弾く白鍵の数は?
@黒鍵と言うからには当然ゼロでしょう
A実は1個だけある
B1個と言わず2個ある
C黒鍵とは名ばかりでもっとたくさんある
解答:A実は1個だけある
解説
黒鍵のエチュードは右手が黒鍵ばかり弾く作品ですが、白鍵がA実は1個だけあります。
弾いたことがある人は瞬間的に分かると思いますし、
そういう意識で聴いていくと、絶対音感がある人には分かるかもしれません。
この曲の右手にある数少ない和音の構成音にちゃっかり白鍵が1つ入っています。
この白鍵がなければ、黒鍵100%だったのに、惜しい!と思うべからず。
この白鍵が入っていることで、この和音は超絶的に美しいハーモニーを醸し出しています。
これがショパンの美意識です。許してあげて下さい。
第50問 ショパンのピアノ協奏曲に関する次の記述のうち正しいものはどれ?
@第1番の後に第2番が作曲された
A第3番を作曲しようとした形跡はない
Bショパンコンクール本選で第2番を弾いて優勝したピアニストは過去にいない
C第1番、第2番ともにカデンツァがない
解答:C第1番、第2番ともにカデンツァがない
解説
正解は「C第1番、第2番ともにカデンツァがない」です。
カデンツァというのは、協奏曲においてソリストがその絢爛豪華なテクニックを披露するための
独奏部分で、その間、バックのオーケストラは完全に鳴りやんで、ソリストの独壇場となるシーンです。
ショパンのピアノ協奏曲は第1番、第2番ともカデンツァがないのが特徴です。
これはロマン派のピアノ協奏曲としては極めて稀です。
しかしそれでもショパンのピアノ協奏曲は十分に華やかで、カデンツァに準じる華麗な箇所は随所に用意されています。
他の選択肢:「@第1番の後に第2番が作曲された」:これは違うんですよ。
先に作曲されたのは第2番へ短調で、第1番ホ短調が作曲されたのはその翌年です。
ただホ短調のピアノ協奏曲の方が先に出版されたため、こちらが第1番となりました。
これが逆になっていたら、むしろ妙な感じがしてしまいますね(慣れというのは不思議)。
「A第3番を作曲しようとした形跡はない」:これも正しそうですが、実は形跡はあります。
演奏会用アレグロ・イ長調Op.46という作品をご存知ですか?
実はこの曲は当初、ピアノ協奏曲第3番の第1楽章として着想されたそうです。
ただショパンにしては不出来でひらめきに乏しく、自分でそれを悟ったためか、
ピアノ協奏曲としての作曲は断念し、独奏曲として世に出したということです。
「Bショパンコンクール本選で第2番を弾いて優勝したピアニストは過去にいない」
これは誤りです。ピアノ協奏曲で第2番を選ぶと優勝できないというジンクスがありますが、
1980年第10回ショパンコンクールで優勝したベトナム出身のダン・タイ・ソンは、
本選でピアノ協奏曲第2番を弾いて優勝しています。
第51問 ショパンのバラード第4番に現れない調性は?
@変イ長調
Aニ短調
Bト短調
C変ニ長調
解答:Aニ短調
解説
これはこの曲を実際に弾いたことがある人でなければ難しいかもしれません。
この曲は目まぐるしく転調を繰り返す、まさにロマン派!という名曲で、
あらゆる調性が用いられていますが、Aニ短調はない、はずです。
@変イ長調は、ヘ短調の平行調でこの曲で頻繁に登場します。
Bト短調はコラール風の変ロ長調の第2主題の後、その平行調としてパッセージに登場します。
C変ニ長調はそのコラール風の主題が左手のスケールの伴奏に乗って奏でられる部分で登場します。
第52問 ショパンの短調のノクターンで多く見られる同名長調で終わらせる手法を何と言いますか?
@リディア旋法
Aピカルディの3度
Bパッサカリア
C旋律長音階
解答:Aピカルディの3度
解説
同主音の長調と短調(例えばハ長調とハ短調)を区別するポイントは第3音(ハ調ではE音(ミ))にあります。
これがE音(ミ)であればハ長調、E♭音(ミ♭)であればハ短調となります。
短調の作品の最後でこの第3音を半音上げることで同主調にするというのが、「ピカルディの3度」です。
これが最も効果的に使われているのが、ショパンではエチュード・変ホ短調Op.10-6です。
最後の最後まで変ホ短調のまま終わると思いきや、最後のG♭音にナチュラルを付け、G音にして終結。
このたった1音で和声の意味が全く変わってしまうわけです。
面白いですね。
第53問 ショパンのノクターンの先駆者となった作曲家は?
@フンメル
Aカルクブレンナー
Bフィールド
Cエルスネル
解答:Bフィールド
解説
正解は「Bフィールド」です。
イギリスの作曲家ジョン・フィールドのノクターンは、幅の広い左手の伴奏音型に乗って、
右手で憂鬱でロマンティックな旋律を奏でるというもので、
ショパンのノクターンはその影響を最も強く受けていると言われています。
第54問 ショパンのソナタに関する次の記述のうち正しいものが1つだけあります。それはどれですか?
@ショパンはソナタを3曲書いた
Aピアノソナタ第1番では緩徐楽章で5拍子を扱うなど独創性も現れている
Bショパンの「葬送行進曲」といえばピアノソナタ第2番の第3楽章のことを言う
Cピアノソナタ第2番に対してシューマンは絶賛していた
解答:Aピアノソナタ第1番では緩徐楽章で5拍子を扱うなど独創性も現れている
解説
これは引っかけ問題。注意深く選択肢の文章を読んでいかないと引っかかってしまいます。
@ショパンはソナタを3曲書いた、え?3曲じゃないの?という声が聞こえてきそうですが、
「ソナタ」と名の付くショパンの作品は、ピアノソナタ第1番〜第3番と、忘れてはいけないチェロソナタがあります。
従って「ショパンはソナタを4曲書いた」であれば正解でした。
「Bショパンの「葬送行進曲」といえばピアノソナタ第2番の第3楽章のことを言う」
え?そうじゃないの?という声が聞こえてきそうですが、
実は遺作にも「葬送行進曲」があるため、これも不正解です。
「Cピアノソナタ第2番に対してシューマンは絶賛していた」
シューマンはピアノソナタ第2番のことを、「4人の乱暴な子供の手をつなぎ合わせただけ」と評しています。
ただ絶賛はしていませんが、それぞれの楽章の独創性は評価していたのだとは思います。
こうして消去法で残った「Aピアノソナタ第1番では緩徐楽章で5拍子を扱うなど独創性も現れている」
が正解となります。「独創性も現れている」これには異論がある方もいると思いますが、
5拍子の音楽はかなり少ないので、「独創的」と言ってよいと思います。
第55問 ショパンのエチュードに関する次の記述のうち正しいものはどれですか?
@ショパンはエチュードを24曲作曲した
A作品10,25のエチュードは、プレリュード同様、24の調性を用いて書かれている
B作品10,25のエチュードは、ショパンの創作の初期の作品群に属する
Cショパンはピアノ学習者のためだけにこれらのエチュードを作曲した
解答:B作品10,25のエチュードは、ショパンの創作の初期の作品群に属する
解説
1つずつ選択肢を見ていきます。
「@ショパンはエチュードを24曲作曲した」これは誤りです。
ショパンのエチュードは作品10の12曲、作品25の12曲の他に遺作の3つの新練習曲があります。
従ってショパンのエチュードは27曲あります。
「A作品10,25のエチュードは、プレリュード同様、24の調性を用いて書かれている」
ショパンの作品10, 25のエチュードは24曲ありますが、調性は重複があり、
24調ないです。最も多いのがイ短調(Op.10-2, Op.25-4, Op.25-11)、
2曲重複する調整は結構あります(例えば:ハ長調(Op.10-1, Op.10-7)、変ト長調(Op.10-5, Op.25-9)、
ヘ短調(Op.10-9, Op.25-2)、変イ長調(Op.10-10, Op.25-1)、ハ短調(Op.10-12, Op.25-12)、
ヘ長調(Op.10-8, Op.25-3)、嬰ハ短調(Op.10-4, Op.25-7)です。
「B作品10,25のエチュードは、ショパンの創作の初期の作品群に属する」
正答肢です。ショパンの作品10, 25のエチュードはショパンが25歳の頃までの作品です。
こんなに若くしてこれだけの作品を書いてしまうショパンの才能に
驚嘆した人は多いと思います。
「Cショパンはピアノ学習者のためだけにこれらのエチュードを作曲した」
これは誤りです。ショパンのエチュードは第1級の芸術作品ですよね。
決してピアノ学習目的に特化したものではなく、音楽的要素を盛り込んだ、
れっきとした観賞用のピアノ作品です。
第56問 ショパンのマイナー作品に関する次の記述のうち誤りを含んでいるものはどれですか?
@「クラコヴィアク」は、ポーランドの2拍子系統の民族舞曲である
A「演奏会用アレグロOp.46」は当初、ピアノ協奏曲第3番の第1楽章として着想された
B「ポロネーズ第11番ト短調」は彼の7歳の時の作品である
C「ロンドハ長調Op.73」には晩年の悟りの境地が現れている
解答:C「ロンドハ長調Op.73」には晩年の悟りの境地が現れている
解説
既に解説した通りですが、ショパンの生前に出版されたのは作品65(チェロソナタ)までで、
作品66以降が遺作です。ロンドハ長調Op.73は晩年ではなく創作初期の10代の頃の作品です。
従ってこれが誤りです。その他の選択肢は正しいはずです。
第57問 ショパンの次の作品の中で一つだけジャンルの異なる作品があります。それはどれでしょう?
@「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ」による変奏曲
A「ピアノ協奏曲第2番」
B「序奏と華麗なるポロネーズ」
C「ポーランド民謡の主題による幻想曲」
解答:B「序奏と華麗なるポロネーズ」
解説
選択肢のそれぞれのジャンルは次の通りです。
@「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ」による変奏曲:ピアノと管弦楽の作品
A「ピアノ協奏曲第2番」:ピアノと管弦楽の作品
B「序奏と華麗なるポロネーズ」:ピアノとチェロの室内楽曲
C「ポーランド民謡の主題による幻想曲」:ピアノと管弦楽の作品
従って、Bだけが室内楽曲で、これが正解となります。
第58問 ショパンの作品の中で「幻想(FANTASIE)」と名のつく作品はいくつありますか?
@2
A3
B4
C5
解答:B4
解説
ショパンの作品の中で幻想と名の付く最も有名な作品は、幻想即興曲ですね。
幻想ポロネーズもすぐに浮かぶと思います。
その他、幻想曲ヘ短調Op.49、ポーランド民謡の主題による幻想曲Op.13があります。
これで4つ。B4つが正解です(見落としがなければ)。
第59問 次のジャンルのうち、ショパンが生涯作曲した作品の中に実際に存在するのは?
@交響曲
A管弦楽曲
B室内楽曲
Cオペラ
解答:B室内楽曲
解説
これは既に他の問題の解説で説明済みですが、
ショパンはチェロが好きで、チェロとの室内楽曲を複数書いています(チェロソナタ、序奏と華麗なるポロネーズ)。
従ってB室内楽曲が正解です。
交響曲、管弦楽曲、オペラのいずれも全く作らなかった一流作曲家というのは、かなり少ないはずです。
第60問 ショパンのエチュードOp.10, 25全24曲に関する次の記述のうち、正しいものはどれですか?
@「革命」というタイトルはショパン自身がつけた
A「別れの曲」というタイトルはショパン自身がつけた
B24曲中、最も多い調性はイ短調である
COp.25のエチュードはフランツ・リストに献呈された
解答:B24曲中、最も多い調性はイ短調である
解説
これも既に解説済みです。
最も多い調整はイ短調でOp.10-2, Op.25-4, Op.25-11の3曲です。
続いて2曲あるのは、ハ長調(Op.10-1, Op.10-7)、変ト長調(Op.10-5, Op.25-9)、
ヘ短調(Op.10-9, Op.25-2)、変イ長調(Op.10-10, Op.25-1)、ハ短調(Op.10-12, Op.25-12)、
ヘ長調(Op.10-8, Op.25-3)、嬰ハ短調(Op.10-4, Op.25-7)で、
それ以外は1曲です。
ショパンは自らの作品にタイトルを付けることを嫌っていたようで、
「革命」も「別れの曲」もショパン自身が付けたタイトルではありません。
エチュードを献呈した人物は、Op.10の12曲がフランツ・リスト、
Op.25の12曲はリストの愛人ダグー夫人です。
第61問 「英雄ポロネーズ」の「英雄」とは具体的に誰を想定していたでしょうか?
@ポーランド軍
Aナポレオン
B自分自身
C誰でもない
解答:C誰でもない
解説
前問で説明したように、ショパン自身は自分の作品にタイトルを付けるのを嫌っており、
「英雄ポロネーズ」の「英雄」もショパン自身が付けたものではありません。
従って、C誰でもない、が正解です。
ところで「英雄」と名の付くクラシック音楽の作品は他にもあり、
例えば、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、R・シュトラウス・交響詩「英雄の生涯」などがあります。
ベートーヴェンは尊敬するナポレオンへのオマージュとして交響曲第3番を着想しましたが、
後にナポレオンが皇帝に即位したと聞いて、結局、国民のためではなく自分のためだったのだと激怒し、
ものすごい筆圧で「ナポレオン」のタイトルが消されているそうです。
R・シュトラウス・交響詩「英雄の生涯」は、自らの生き様を音で表現したものと言われ、
ここで言う「英雄」は作曲家自身です。自分を「英雄」というのはかなりのツワモノですね。
第62問 ショパンの全作品の中で最も多い調性は?
@嬰ハ短調
A変ニ長調
B変イ長調
C変ホ長調
解答:B変イ長調
解説
この問題を解くために、作品一覧を作って地道に数えた方はいますか?
僕は数えたわけではないのですが、「B変イ長調」が最も多いと言われています。
英雄ポロネーズ、幻想ポロネーズなどが変イ長調ですが、
ワルツやマズルカなどに多用されており、曲の総数では最多です。
僕自身、変イ長調は24の調整の中で、最もロマンティックな調性だと思っています。
夕刻を告げる町内放送で流れる童謡のメロディーが変イ長調に移調されて流れてくる自治体に
住んでいたとき、そのハーモニーの選択とともに、「なんてセンスの良い音楽なのだろう」
と感激したものでした。担当者がクラシック音楽好きなのかもしれないと思いました。
ちなみにショパンの作品で2番目に多い調性は嬰ハ短調だそうです。
マズルカに多いですね。
第63問 シューマンの「謝肉祭」の中の「ショパン」という作品は彼のどのジャンルの作品をイメージしたものと言われていますか?
@ワルツ
Aマズルカ
B即興曲
Cノクターン
解答:Cノクターン
解説
シューマンの謝肉祭の第12曲「ショパン」。この曲は左手のアルペジオに乗って、
右手で憂いを帯びたロマンティックな旋律を奏でるもので、まさしくノクターンです。
しかもショパンが最も好きだったと言われる変イ長調・・・
というよりこの謝肉祭自体が変イ長調を基調をしているので、これは偶然かもしれませんが。
第64問 次の作曲家の中でショパンの影響を最も受けていないと考えられるのは誰?
@ラフマニノフ
Aスクリャービン
Bブラームス
Cグリーグ
解答:Bブラームス
解説
これは諸説あり、不適切問題かもしれませんが、正解はBブラームスのつもりです。
@ラフマニノフは超絶技巧系の作品を多く書いた後期ロマン派のピアニスト・作曲家で、
24の前奏曲は24の調性を用いて書かれており、ショパンの影響は大いに受けています。
Aスクリャービンはラフマニノフと同時代の後期ロマン派〜近代のピアニスト・作曲家で、
初期の作風はロマンティックでショパン風であり、またマズルカも作曲しています。
ショパンの影響は大きいと考えられています。
Bブラームスはロマン派の時代のさなかに生まれながら、ベートーヴェンを崇拝し、
ベートーヴェンの精神を受け継いだ作風から新古典派とも言われます。
ただ十分にロマンティックでもあり、ショパンのエチュードのテーマを用いた
練習曲を書いたりするなど、ショパンの影響もそれなりにありそうです。
Cグリーグはノルウェーの作曲家で、「北欧のショパン」と言われるほど、
ロマンティックで繊細な旋律が特徴の作曲家です。
ショパンの影響は大きいと考えられます。
ショパンの影響を有か無かで考えるのではなく、
影響の程度はグラデーションで分布しています。
その程度が最も少ないのはBブラームスではないかと思います。
不適切問題かもしれないですけど・・・
第65問 ショパンの前奏曲で作品番号と一対一対応できない調性はいくつ?
@0
A1
B2
C3
解答:B2
解説
この問題、言っている意味が分からないという人がいるかもしれません。
「作品番号と一対一対応できない調性」というのは、
かみ砕いて言えば、変イ長調と言えばこの曲、嬰ハ短調と言えばこの曲、
と断定できない調性はいくつありますか?ということです。
ショパンの前奏曲は24の前奏曲の他に2曲あります。
その2曲の調性は、第25番:嬰ハ短調Op.45、第26番:変イ長調です。
つまり変イ長調のプレリュードと言った場合、Op.28-17の他に第26番遺作も該当します。
また嬰ハ短調のプレリュードと言った場合、Op.28-10の他にOp.45も該当します。
従って2つというのが答えです。
第66問 シューマンがショパンに献呈した作品は次のうちどれ?
@謝肉祭Op.9
AクライスレリアーナOp.16
B交響的練習曲Op.13
C幻想曲ハ長調Op.17
解答:AクライスレリアーナOp.16
解説
これは知っているかどうかを試す知識問題です。
クライスレリアーナはピアニスティックな難曲で(他の選択肢の曲もそうですが)、
ショパンに献呈するにふさわしい曲という気がします。
第67問 ショパンがシューマンに献呈した作品は次のうちどれ?
@バラード第1番ト短調Op.23
Aバラード第2番ヘ長調Op.38
Bバラード第3番変イ長調Op.47
Cバラード第4番ヘ短調Op.52
解答:Aバラード第2番ヘ長調Op.38
解説
その返礼として、ショパンがシューマンに献呈したのが、Aバラード第2番ヘ長調Op.38でした。
この曲は最後、激しいアジタートのコーダの後、イ短調で静かに終わりますが、
シューマンの記録によると、ショパンがこの曲を献呈してシューマンの前で弾いた際、
最後は最初と同じヘ長調で終わっていたということです。
一体、どういう終わり方だったのか、気になりますね。
第68問 ショパンのスケルツォで中間部が主部の平行調で始まるのはどれ?
@スケルツォ第1番ロ短調Op.20
Aスケルツォ第2番変ロ短調Op.31
Bスケルツォ第3番嬰ハ短調Op.39
Cスケルツォ第4番ホ長調Op.54
解答:Cスケルツォ第4番ホ長調Op.54
解説
これは考えてみればすぐに分かるかもしれませんが、選択肢を1つ1つ吟味していきます。
@スケルツォ第1番ロ短調Op.20:主部:ロ短調、中間部:ロ長調
Aスケルツォ第2番変ロ短調Op.31:主部:変ロ短調、中間部:イ長調
Bスケルツォ第3番嬰ハ短調Op.39:そもそも中間部が存在しない(構成が違う)
Cスケルツォ第4番ホ長調Op.54:主部:ホ長調、中間部:嬰ハ短調
主部と中間部の初めが平行調の関係になっているのは、Cスケルツォ第4番ホ長調Op.54のみです。
第69問 ショパンが最後に作曲したワルツはどれ?
@ワルツ第5番変イ長調Op.42
Aワルツ第8番変イ長調Op.64-3
Bワルツ第14番ホ短調遺作
Cワルツ第19番イ短調遺作
解答:Aワルツ第8番変イ長調Op.64-3
解説
ショパンの既知のワルツは全19曲ありますが、そのうちよく知られているのは第1番から第14番までです。
しかし生前出版されたのは第1番から第8番までで、第9番以降は死後出版された遺作になります。
従って最後に作曲したワルツは第8番Op.64-3です(第6番から第8番は作品64として同時に出版されたため、
正確を期せば、第6番〜第8番というのが間違いのない答えです)。
第70問 次の作曲家の中でショパンが受けた影響が最も少ないと考えられるのは誰?
@ヨハン・セバスチャン・バッハ
Aウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Bジョン・フィールド
Cヨハン・シュトラウス一世
解答:Cヨハン・シュトラウス一世
解説
ショパンはバッハやモーツァルトを敬愛し、影響を受けたと考えられています。
ジョン・フィールドはノクターンの先駆者となった人で、
ショパンのノクターン(夜想曲)の作風に大きな影響を与えた作曲家です。
ヨハン・シュトラウス一世の曲は現在知られているものはあまりなく、
またショパンはウインナ・ワルツはあまり好きではなく、
ショパンのワルツの特徴はウインナ・ワルツとは全く異なるものですので、
受けた影響が最も少ないのはCヨハン・シュトラウス一世、です。
第71問 現存するショパンの最初の作品は彼が何歳の時のものですか?
@7歳
A8歳
B9歳
C10歳
解答:@7歳
第72問 第71問の作品のジャンルは?
@マズルカ
Aポロネーズ
B即興曲
Cその他
解答:Aポロネーズ
解説
現在、知られているショパン最初の作品は、ポロネーズ・ト短調で、
ショパン7歳の時の作とされています。
さすがにショパンの後の名作とは比べようはないのですが、
憂鬱なト短調の旋律と華麗なアルペジオのパッセージは、
とても7歳の少年の作品とは思えないほど見事です。
この作品でピアノの詩人・天才ショパンの活躍の幕開けとなりました。
第73問 ショパンが自らの怒りを鍵盤に叩きつけたと言われるのは次のどの作品ですか?
@スケルツォ第3番嬰ハ短調Op.39
Aエチュードハ短調Op.10-12「革命」
Bエチュードロ短調Op.25-10
Cプレリュード第22番ト短調Op.28-22
解答:Aエチュードハ短調Op.10-12「革命」
解説
どの曲も鍵盤を叩き付けるような激しい曲調で、知らなければ迷いそうですが、
正解は「Aエチュードハ短調Op.10-12「革命」」です。
ポーランド革命軍がロシア軍に対して反乱を起こしたが失敗し、
ワルシャワが陥落したという知らせをショパンが聞いたときの反応と
言い伝えられています。
ショパンがポーランドを出国し、旅の途上、ドイツのシュトゥットガルトにいた時に
この知らせを聞き、愛する家族や友人、片思いのグワドコフスカの身を案じ、
そして怒りの感情のままにピアノに向かい、この曲を作曲したという言い伝えが
あります。しかし後にその言い伝えの根拠がないことが分かりました。
しかし根拠はなくても、そのような言い伝えはそれなりに説得力はあり、
この作品の曲調と当時のショパンの心境にはかなり強い関連があるのではないかと
考えられます。
第74問 ショパンの幻想即興曲に関する次の記述の中で誤りを含んでいるものを選んで下さい。
@ショパンが初めて作曲した即興曲である
Aショパンは初めからこの曲を出版するつもりはなかったとされる
Bショパンはこの作品が今日これほどの人気を獲得することを予想していなかった
Cショパンの他の即興曲よりも卓越した作曲技法上の特徴が見られる
解答:Cショパンの他の即興曲よりも卓越した作曲技法上の特徴が見られる
解説
これは消去法で選んでほしい問題です。
ショパンの4曲の即興曲のうちこの曲が最も遅い第4番なのは出版の順序の関係です。
この曲はショパン自身はあまり公開したくない出来のよくない作品と考えていたようで、
出版するつもりはなかったということです。
その理由として憶測されるのが、作品の一部にベートーヴェンの月光の第3楽章の右手だけの下降音型を
そのままの形で借用していることです。どの部分をどう借用しているのかは、聴いているだけでは
分かりにくいと思いますし、是非、一度、取り組んでみることをお勧めします。
このようにショパン自身は出版せず、自らが出版しなかった全ての作品は
死後も出版せずに灰にしてほしいと友人フォンタナに言い残して世を去ったわけですし、
フォンタナはそのショパンの言い残しを忠実に守るはずだとショパンは信じていたでしょうから、
まさかフォンタナがそのショパンの言い残しを裏切り、出版してしまうなどとは夢にも思わなかったでしょうし、
しかも自らは駄作と考えていたこの作品が、今日これほどの人気を獲得することなど、
予想だにできなかったはずです。
従って、@〜Bは全て正しい選択肢です。
Cに関しては異論がある方もいると思いますが、@〜Bが紛れもない正答肢である以上、
Cを選ばなければならないことになります。
この作品は右16分音符に対して左が3連符と、音価的に割り振りができないところがユニークですし、
楽想も非常に魅力的で、僕自身はお気に入りですが、「卓越した作曲技法上の特徴」に関しては、
即興曲に関しては、第2番嬰ヘ長調Op.36や第3番変ト長調Op.51の方が
工夫が凝らされていると考えられます。
第75問 ショパンのバラード第2番ヘ長調Op.38に関する次の記述の中で誤りを含んでいるものを選んで下さい。
@緩徐部と急速部との凄まじいコントラストが絶大な表現効果を生む傑作である
A当初この曲はヘ長調で終わるように書かれていた
B当初は急速部はヘ長調の平行調のニ短調で始まるように書かれていた
Cマジョルカ島での生活がこの作品に少なからず影響を与えている
解答:B当初は急速部はヘ長調の平行調のニ短調で始まるように書かれていた
解説
これは既に解説済みですが、@に関しては異論がある人はいるかもしれませんが、凄まじいコントラスト、傑作と、
主観の入り込む余地はあるものの、概ねこのように考えられています。
この曲はシューマンに献呈されましたが、ショパンのこの曲の演奏を聴いたとき、
ヘ長調で終結していた、とシューマンは語っています。現在のこの曲はイ短調で静かに終わるのですが、
その第1版はどのようなものだったか気になりますね。
「B当初は急速部はヘ長調の平行調のニ短調で始まるように書かれていた」これは間違いです。
そのような記述は見たことがないです。
「Cマジョルカ島での生活がこの作品に少なからず影響を与えている」これはそのように言われています。
第3部:ピアニストについて
第76番 次の中でショパン・エチュード作品10、作品25全24曲を録音していないピアニストは?
@クラウディオ・アラウ
Aウィルヘルム・バックハウス
Bアルフレッド・コルトー
Cアルトゥール・ルービンシュタイン
解答:Cアルトゥール・ルービンシュタイン
解説
20世紀のピアニストのレコード目録やカタログに詳しい人、ショパン演奏に詳しい方なら、
秒で瞬殺できる問題です。
アルトゥール・ルービンシュタインは20世紀を代表するショパン弾きで、ショパン全集がありますが、
その中にこれらのエチュードは1曲もありません。わずかに3つの新練習曲の録音が残されているのみです。
ルービンシュタインはテクニックにやや難のあるピアニストで、
ショパンのエチュード全曲を録音に残すのは技術的に無理、と端から諦めていた節があります。
演奏会のライブ録音では、エチュードOp.10-4, Op.10-5、Op.25-1、Op.25-5などの録音は残っているようです。
一方、@クラウディオ・アラウ、Aウィルヘルム・バックハウス、Bアルフレッド・コルトーは、
いずれも作品10, 作品25全24曲の録音を残しています。
第77問 ショパンが生まれた1810年は日本では午(うま)年ですが、
それでは、ショパンコンクールの次の歴代優勝者
のうち、午年生まれは?
@マウリツィオ・ポリーニ
Aマルタ・アルゲリッチ
Bダン・タイ・ソン
Cユンディ・リ
解答:@マウリツィオ・ポリーニ
解説
選択肢のピアニストの生誕年は、@マウリツィオ・ポリーニ:1942年(ショパンとの年齢差132歳)、Aマルタ・アルゲリッチ:1941年(同131歳)、
Bダン・タイ・ソン:1958年(同148歳)、Cユンディ・リ:1982年(同172歳)です。
この中でショパンとの年齢差が12の倍数であるのは、@マウリツィオ・ポリーニです。
第78問 次のポーランド出身のピアニストの中でショパンコンクール優勝経験を持たないピアニストがいます。それは誰でしょう?
@ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ
Aアダム・ハラシェヴィッチ
Bクリスティアン・ツィマーマン
Cアルトゥール・ルービンシュタイン
解答:Cアルトゥール・ルービンシュタイン
解説
これもピアニストの知識がある人であれば、秒で瞬殺できる問題です。
@ハリーナ・チェルニー=ステファンスカは、第2次世界大戦後、ワルシャワフィルハーモニー復興直後の1949年第4回ショパンコンクールで、
旧ソ連のベラ・ダヴィドヴィッチと分け合う形で第1位を受賞しました。
Aアダム・ハラシェヴィッチは、1955年第5回ショパンコンクールで、第2位のヴラディーミル・アシュケナージと僅差で優勝しました。
Bクリスティアン・ツィマーマンは1975年第9回ショパンコンクールで優勝しました。
Cアルトゥール・ルービンシュタインは、1887年ポーランド生まれのピアニストで、
アントン・ルビンシテイン国際ピアノコンクールで優勝という経歴はありますが、年代が異なり、
現代のピアノコンクールの受賞歴はありません。
第79問 ショパン国際ピアノコンクールに関する次の記述のうち、誤りを含んでいるものはどれですか?
@ワルシャワフィルハーモニーホールで開催される
A歴代優勝者は旧ソ連人(ロシア含む)が最も多い
B本選のコンチェルトは第2番よりも第1番を選ぶ出場者が圧倒的に多い
C上位入賞(3位以内)を果たした日本人は過去に3人いる
解答:A歴代優勝者は旧ソ連人(ロシア含む)が最も多い
解説
実はこの問題作成当時(2002年頃)、Cの選択肢は「過去に2人いる」として、正しい選択肢のつもりで作成しました。
その時点で上位入賞(3位以内)を果たした日本人は内田光子さん、横山幸雄さんの2人でした。
しかしその後、2021年第18回ショパンコンクールで反田恭平さんが見事第2位を獲得したことで、3人となりました。
そこでこの問題でも、「過去に3人いる」と訂正して、正しい選択肢に変更しました。
@、Bが正しいのは誰にでも分かると思います。
Aの選択肢が誤りで、歴代優勝者が最も多いのは、ショパンの祖国ポーランドで、
旧ソ連が次に続きます。
第80問 現行のショパン国際ピアノコンクールに関する次の記述の中で誤りを含んでいるのはどれ?
@出場資格の年齢制限は上限だけでなく下限もある
A終始ショパンの作品だけを演奏する
B優勝者が出なかったことが3回ある
C優勝者が2人出たこともある
解答:B優勝者が出なかったことが3回ある
解説
ショパン国際ピアノコンクールの出場資格の年齢制限は微妙に変わることがありますが、上限・下限があります。従って@は○です。
作曲家の名を冠したコンクールは多数ありますが、その作曲家の作品のみが課題曲となるのは、ショパンコンクールだけです。
従ってAも○です。
1949年第4回ショパンコンクールでは、ポーランドのハリーナ・チェルニー・ステファンスカと旧ソ連のベラ・ダヴィドヴィッチが
同率優勝に輝いています。従ってCも○です。
B優勝者が出なかったのは、1990年第12回ショパンコンクール(最高位・第2位ケヴィン・ケナー)、
1995年第13回ショパンコンクール(最高位・第2位アレクセイ・スルタノフ、フィリップ・ジュジアノ)の2回です。
従ってBは×で、これが答えです。
第81問 ショパン国際ピアノコンクールで予選落ちした際、審査員のアルゲリッチが「彼は天才よ」と言い放った天才ピアニストは誰?
@ケマル・ゲキチ
Aシプリアン・カツァリス
Bデジュ・ラーンキ
Cイーヴォ・ポゴレリチ
解答:Cイーヴォ・ポゴレリチ
解説
選択肢には天才ピアニストを並べてみましたが、このピアニストはCイーヴォ・ポゴレリチです。
イーヴォ・ポゴレリチは1980年第10回ショパンコンクールに出場し、男性ピアニストがワイシャツ、ネクタイ、スーツに身を包んで、
ガチガチに緊張して演奏するさなか、白のシャツにジーンズという普段着に近い姿で出場し物議を醸しました。
演奏内容はショパンらしさからは程遠いものの、超絶技巧の持ち主でスケールの大きい演奏を披露し、
コンクールの話題の人物となりました。ポゴレリチが予選落ちとなったとき、審査員だったアルゲリッチがその結果に激怒して
「彼は天才よ」と怒鳴り、審査結果を認めず辞退してしまうという事件も起こりました。
僕も2005年以降、ショパンコンクールをネット中継でリアルタイムで聴くようになってから、
本選まで進んでほしいピアニストが謎の予選落ちをしたときなど、納得できない気持ちと強い怒りの感情が
湧き上がるので、当時のアルゲリッチの気持ちがよく分かります。
この審査結果が間違っていたこと、アルゲリッチの見立てが正しかったことは、
ポゴレリチのその後の活躍ぶりが証明しています。
ちなみにこの回のショパンコンクールで優勝したのはベトナム出身のダン・タイ・ソンでした。
第81問 1932年第2回ショパン国際ピアノコンクールではトップが同得点で2人並んでしまいましたが、
最終的には優勝者はその2人のうち1人に決まりました。それでは優勝者は何によって決定されたでしょうか?
@全審査員が一堂に会しての白熱議論
A聴衆を対象にしたアンケート
Bコイントス
Cくじ引き
解答:Bコイントス
解説
1932年第2回ショパン国際ピアノコンクールは、ロシアからフランスに亡命したアレキサンドル・ウニンスキーと、
ハンガリーのイムレ・ウンガルが最終的に全く同点で並びました。
この2人のうちどうやって1人を選んだのか、という問題です。
わざわざ問題に出すのだから、意外なものが答えになりそうだと感じた方は、なかなかのセンスです。
ピアノに青春を捧げた若者の今後の人生を左右しかねない結果であることを考えれば、
「@全審査員が一堂に会しての白熱議論」は必須だと思うのですが、
当時はショパンコンクールの権威が今日ほどではなかったのでしょうか。
「A聴衆を対象にしたアンケート」くらいはやってほしかったと思うのですが、
実際は「Bコイントス」で決まってしまったとのことです。
このことは、「ものがたりショパンコンクール」という本に書いてあります。
興味がある方は一度、読んでみて下さい。
第82問 過去のショパン国際ピアノコンクールで、ある審査員が「技術的には我々審査員の誰よりも上手い」と絶賛し、満場一致で優勝したピアニストがいます。
その審査員とピアニストの組み合わせとして正しいものを選んで下さい。
@審査員:ヤン・エキエル、ピアニスト:ラファウ・ブレハッチ
A審査員:アンジェイ・ヤシンスキ、ピアニスト:スラニスラフ・ブーニン
B審査員:アルトゥール・ルービンシュタイン、ピアニスト:マウリツィオ・ポリーニ
C審査員:アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、ピアニスト:アダム・ハラシェヴィッチ
解答:B審査員:アルトゥール・ルービンシュタイン、ピアニスト:マウリツィオ・ポリーニ
解説
これは、ショパンコンクール秘話として、もはや未来永劫語り継がれるべき伝説となった感がありますが、
当時73歳だったアルトゥール・ルービンシュタインが、18歳のコンテスタント・マウリツィオ・ポリーニの演奏に対してのコメントです。
正確には「我々審査員の中で、技術的に彼ほど上手く弾ける人はいるだろうか?」という疑問文だったようですが、
これは反語的な言い回しで、「いや、いない」と続く言葉が省略されていることは明らかです。
第83問 現行のショパン国際ピアノコンクールの開催時期は何をもとに決められていますか?
@ショパンの誕生日
Aショパンの命日
Bショパンの告別式の日
Cコンクール運営側の裁量
解答:Aショパンの命日
第84問 第83問の日に開催される催し物として正しいものは次のうちどれですか?
@ショパンコンクール入賞者ガラコンサート
Aワルシャワフィルによる、ある曲目の演奏会
Bショパンコンクール本選
Cショパンの生家への正式ツアー
解答:Aワルシャワフィルによる、ある曲目の演奏会
解説
現行のショパンコンクールの開催日時は10月1日〜10月20日です。
これはショパンの命日である10月17日を挟んで設定されています。
コンクール開催期間中の10月17日は、第3次予選と本選の間に設けられた休日となり、
この日にワルシャワフィルハーモニー交響楽団により、モーツァルトのレクイエムが演奏されます。
第85問 次の日本人名ピアニストの中でショパン国際ピアノコンクール入賞歴のないのは誰?
@田中希代子
A中村紘子
B海老彰子
C仲道郁代
解答:C仲道郁代
解説
ショパンコンクール入賞歴は、@田中希代子:1955年第5回ショパンコンクール第10位、
A中村紘子:1965年第7回ショパンコンクール第4位、B海老彰子:1980年第10回ショパンコンクール第5位、C仲道郁代:なし、です。
第4部:その他
第86問 ワルシャワのワジェンキ公園にあるショパン像は何を背景にしているでしょうか?
@ピアノ
A木
B戦車
C川
解答:A木
解説
これは当サイトのバナーにある画像です。ショパン像の前に噴水、バックに林があります。
第87問 ショパンコンクールが行われるワルシャワ・フィルハーモニーホールの収容人数は?
@1200人
A1700人
B2000人
C3700人
解答:@1200人
解説
ホールの収容人数としては少ないですね。
A1700人は、ウィーンフィルの本拠地ムジークフェラインザール、B2000人は我が国のサントリーホール、
C3700人はニューヨークのカーネギーホールの収容人数です。
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