ピアノ練習方法・上達法〜ピアノ導入期:最終目標は「エリーゼのために」:管理人の場合〜
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〜ピアノ導入期:最終目標は「エリーゼのために」:管理人の場合〜

僕は自分からピアノを習いたいと言い出して、親が根負けする形でやっとのことで習わせてくれることになったという経緯は、 「さあピアノを始めよう〜管理人がピアノを始めたいきさつ〜」で 詳しく述べた通りです。

その後、僕はどうなったか気になる方もいらっしゃるでしょうか?(いやそのページそのものが全く読まれていないですし、 そもそも一介のアマチュアピアノ弾きがその後どうなろうが全く気にならないですね) 気にならなくても、僕がその後、どのような導入期を過ごしたのか、駄文にお付き合いいただければ幸いです。 全く関心がない方はこのページは読まずに無視して下さい。

自分からピアノを習いたいと言い出して始まったくらいだからその後は順風満帆だったのではないか、と想像する方も多いと思いますが、 決してそうではありませんでした。

ピアノを習う最終目標は「エリーゼのために」

僕は幼稚園の先生が弾く歌の伴奏や、休み時間に弾いてくれた「エリーゼのために」を聴いて、僕もこのように弾きたいと強く思ったのが ピアノを習う大きなモチベーションとなったわけですが、特に「エリーゼのために」には強く惹かれるものがありました。 つまり僕にとって一番の大目標は「エリーゼのために」で、これを弾きたいがためにピアノを習い始めたと言っても過言ではないほどでした。

一応「大目標」とは言うものの、僕はこの曲はすぐに弾けるようになるのではないかという認識でいたのですが、 ピアノレッスン開始早々、その認識が甘すぎたことを痛感することになりました。

例えば、ピアノが家に来たばかり頃、幼稚園で歌っていた「ドレミの歌」が弾きたくて早速自主練習したところ、右手でそれらしく弾くことはできましたが、 左手の伴奏を入れようとするとタイミングが合わず、右手と左手で別々の動きをするのがこんなに難しいとは、と愕然としました。 簡単そうに聴こえても、いざそれをピアノで弾くとなると、とんでもなく難しい、これは先が思いやられると思ったものでした。 ましてや「エリーゼのために」など、はるかその先の見えない風景の中にある花園という存在に思えてきました。

自分で歌う通りに指が動いてくれたら、と思ったものです。ピアノを始めたばかりの頃は、指の動きが口の動きについていかず、 それがひどくもどかしく感じます。 ピアノが上達すればこれはある一定地点で逆転します。つまり口の動きよりも指の動きの方が断然速くなります。 皆さんも到底口すざむことさえできないような超高速パッセージを弾きまくる日々だったりしないでしょうか。

さすがの僕もピアノの「練習」は好きではなかった

僕は小さい頃から絵と歌がずば抜けて上手い子供だったそうで、それに加えて一か所にじっとしているのが好きで落ち着いていて、 集中力がずば抜けていると言われていました。だからピアノの練習も自分の生活の一部として自然に習慣づけることができましたが、 練習自体は決して好きではありませんでした。 ピアノ自体は結構好きなのですが、練習はやはりつまらないと思いました。 ここで練習しなくなれば、それ以上の上達は望めなくなり、「エリーゼのために」は僕にとって夢の曲のままで終わってしまいます。 これを「夢」で終わらせないためにも目の前の課題を1つずつクリアしていくしかありません。

ここでピアノに向かうモチベーションを上げるも下げるも、ピアノの先生の導入教育の巧拙と自分の心がけ次第です。 僕の場合、初めてのピアノの先生が適切な導入教育をしてくれたおかげで、僕はその黎明期を乗り越えられたと言っても過言ではないほどです。 これはひとえに幸運以外の何物でもないと思います。自分の意思で先生を選べないですし、 その先生が導入教育が上手いかどうかは、フタを開けてみなければ分からないですからね。

導入期の教材は「オルガン・ピアノの本1〜4」、歌を歌いながら、音当てクイズなども

導入期の教材としてバイエル上巻を使う先生も多いと思いますが、僕の場合はそうではありませんでした。 今もあるかどうか分かりませんが、「オルガン・ピアノの本1〜4」というものでした。 これは曲に歌詞がついていて、歌いながら楽しめる教材にもなっていて、無味乾燥でモノクロームなバイエルと違って、 楽しみながらピアノが学べる工夫が随所に施された、今考えれば非常に優れた教材でした。

「オルガン・ピアノの本」の課題曲は、最初は右手、左手片手ずつの曲でした、途中で右手と左手を一緒に使う曲が登場し、 初めて自分の両手でハーモニーを奏でた感動は今でも鮮明に覚えています。 こういう何気ない1つ1つのことに感動できたのも、僕自身のピアノ原体験がまるでまっさらなキャンバスのように真っ白だったからだと思います。 ここに様々な模様が描かれ、そうして僕というピアノ弾きの原型が形作られようとしていました。

課題の曲がマルをもらえると、レッスンの最後に先生が次の曲を目の前で弾いてくれます。それを聴くと、 今度はこういう曲を弾くんだ、とワクワクして家に帰って早速ピアノに向かったものでした。 次の課題曲を弾いてくれない先生も多いようですが、その先生は必ず弾いてくれました。 これも結果的には僕にとってモチベーションを向上に非常に良い効果がありました。 レッスンに行くと毎回、かわいい絵柄の入ったシールを貼ってくれて、そういう1つ1つのことが子供心にとても嬉しかったのを覚えています。

またレッスンの最後には音当てクイズと言って、ピアノに背を向けた状態で先生が弾いた音を当てるクイズがありましたが、 当然のように当てることができるようになり、今考えればこの時期に絶対音感が身に付いたのだと思います。

こうして僕は1年目の導入期を過ごしました。

毎日ピアノの前に座ることが自然と習慣に

ちなみに当時の僕は決して進度は速くなかったです。音感教育、リズム感教育ともに全く受けていない状態で いきなりピアノのレッスンに通い始まったのだから、仕方がないとも言えますが、天才ではなかったのだな、と思います。 当時の僕は落ち着いてはいたものの意外に癇癪持ちの一面があって、何度練習しても弾けるようにならない曲があって、 その部分の楽譜をビリ〜っと破いてしまったこともありました。

導入期の1年間、色々ありましたが、この時期にピアノを弾くことが楽しいことなのだという認識を持つことができて、 ピアノの練習を習慣づけることができたのが、その後の大きな土台になったと思います。

ピアノは長年の努力の積み重ねがものを言う楽器です。だからピアノの練習を習慣づけることが何よりも大切です。 そのためにはピアノが楽しいと思えるような自分なりの工夫が必要ですし、ピアノの先生は生徒にそのように思ってもらえるように 適切な教材を選択し、それを最もやる気を出させるような形で使う工夫が求められます。

「エリーゼのために」は一体いつになったら弾けるようになるのだろう、と思いながら、僕は小学校2年生以降もピアノを習い続けました。

初稿:2017年6月15日

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