当サイト立ち上げを開始してから〜Yahoo! JAPAN登録を目指して
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2002年8月お盆休み中に特別な出来事があったわけではありませんが、 以前からホームページを作りたいという思いはあって、この時、たまたま行動に移そうと思ったというのが真相です。

もう何でも良いから、ホームページを作っちゃえ、と決意を固めました。いわば「見切り発車」です。 センスの良いデザインのホームページなど作れるはずもなく、 最初は白背景に黒い文字のそれはそれは殺風景なものでした。 しかしWordに文字を打つのと違い、メモ帳を開いて文字を打ち、.htmlの拡張子を付けて保存してIEで開くと、ブラウザに自分で打った文字が表示されるのを 見たときは感動しました。これでいいんだ、とにかく始めのうちは内容さえ伝わればよい、デザインは後で考えようと思いました。 このページの冒頭で述べた「インターネットの理想と現実」の「理想」の部分を思い描くと、作業は意外にはかどるものです。 インターネットの理想とは、もちろん、ピアノが好きな仲間たちをたくさん作り、楽しくやり取りをすることでした。 このような将来を思い描き、訪問者を増やすために自分のホームページを少しでも充実させることに全力投球しました。 僕は根っからのショパンマニアですが、ショパンに限定してしまうと、訪問者も限定されてしまうかもしれないと考え、 ホームページ開設当初は、クラシック音楽全般に広げるか、ピアノ一般のサイトにしようかとも考えましたが、 「何でもある」は「何にもない」という法則は当時からインターネットでも言われていました。 僕はショパン一筋で生きてきて、大学のピアノサークルに初めて行ったときにショパンのピアノ協奏曲1番の第1楽章をいきなりほぼフルで弾いてしまったこともあり、 当時既に「ショパンなら何でも弾ける人」という長い称号を贈られたこともあるくらいのショパンマニアで、 そんな僕の売りを活かすならこれしかないだろう、と決意し、サイトのテーマはショパンをメインにすることにしました。

僕はショパンに関する知識には自信がありましたし、それ以上にショパンのあらゆる曲を弾きつぶしてきたという経験が最も大きな売りになると考えました。 自分で言うのもおこがましいようですが、僕は曲を仕上げるスピードが驚異的に速いらしく、10分程度の難曲でも2週間あれば暗譜までできてしまうほどでした。 ショパンのマズルカの多くの曲は1日〜2日あれば十分だったくらいです。このスピードも一流ピアニストの平均からするとやや落ちるとは思いますが、 このような能力があったからこそ、ショパンの曲をこれだけ弾きつぶせたのだと思います。 そして弾いた時に感じたこと、その曲の具体的な難所、表現のポイントについても記憶にしっかりと残っています。 これを活かさない手はないと思いました。他のショパンサイトと差別化を図る一番のポイントがこの僕自身の経験だと考えました。 このようにして、ショパンの作品解説には最も力を入れようと決めました。そして僕自身の感じた「体感難易度」を各曲に付けることにしました。

しかし解説を書いていくうちに、その全てを文章で表現するには限界があることを思い知りました。 譜例を載せて解説したいとも思いましたが、著作権の関係で楽譜を無断で掲載することは禁止されていますし、 それを言葉で表現するのもなかなか難しいものです。そして1曲1曲それぞれの部分について自分の思っていること、考えていることを、 その都度詳しく説明していったら時間がいくらあっても足りないですし、その前に僕自身が完全に困憊してつぶれてしまいます。 そこで、「ほどほど詳しく」を目指して一通りの完成を急ぐことにしました。 そして、その後、「管理人のピアノ練習奮闘記」で各曲について詳しく掘り下げていくという方針を暫定的に定めました。

その他、僕はショパンやピアニストに関する文献も読み漁っていたり、父親の影響でレコード芸術やCDカタログを眺めている時間も長く、 本当にピアノ一筋、クラシック音楽マニアでした。その中からショパンに関する知識に特化して、ショパンのカテゴリー別に CD聴き比べや、古今東西の一流ショパン弾きの解説(紹介)ページを作成して、そこからも訪問者やファン層を広げようと企画しました。 それと同時に「ショパンって一言で言うとどんな作曲家なのか」という初心者のためのページも設けたり、 ショパンの超メジャー曲をこれから弾こうという、僕たちショパンマニアから見れば「初心者」に近い人たちのためのページも作ろうと、 色々すそ野を広げ、数多くの訪問者を取り込めるように工夫しました。

2002年8月から年末にかけてを振り返ると、本当によく頑張ったものだと思います。 来る日も来る日も会社から帰宅するとPCに向かって、寝る時間を惜しみながらひたすら打ち込む日々でした。 そして翌日、出勤し会社の廊下を一人で歩いている時などには、「あの部分のあそこは上手く書けた」などと頭の中で自分の書いた文章を 反芻することもありました。もちろん仕事は真面目に取り組んでいましたが、この頃からホームページ作成と運営が 僕の生活の一部として加わった感がありました。 帰宅すると、PCを開いてアクセス数をチェック、メールと掲示板をチェック、Yahoo!やGoogleで検索して自分の書いたページが何番目にあるかをチェック した後、またホームページ作りを続ける、そんな日々でした。

ホームページはタイトルが意外に重要とも言われています。当サイトのタイトルについても結構考えました。 インパクトのあるタイトルが良いのは言うまでもありませんが、このインパクトという要素を考えるときに重要なのは「意外性」です。 意外性も大きく分けると、固有名詞や名詞そのものの意外性と、言葉の組み合わせ(語呂)の意外性に分けられます。 当初は「ショパンを応援しよう」というタイトルで、インパクトを強めるために、わざと語呂を悪くしました。 「ショパン」を「応援する」というのがいかにもチグハグな感じで、滑稽さを出したかったわけです。この辺りは言葉の感覚の問題になりますが、 僕は言葉の絶対感覚には自信を持っているので、「皆から受ける」と思ったものは大抵受けます。 このまま「ショパンを応援しよう」というタイトルでも、当サイトは十分に繁栄したのではないかと思いますが、 「ショパンを応援しよう」という言葉は皆に呼びかけるだけの言葉で、管理人の主体性が感じられず、少々インパクトに欠けるとも思ったのです。 僕はもう一ひねりしようと決めました。もっと管理人を前面に出そうと思ったわけです。現実の僕は引っ込み思案で気が弱く大人しい性格ですが、 星の数ほどのサイトがあるインターネットでは自己主張をしていかないと、埋もれてしまいます。 そしてひねり出したのが「ショピニストへの道」です。これは言うまでもなく僕自身の目標です。 作曲家名はショパンなのだから、「ショパニスト」の方が一般的であることは百も承知の上で、あえて「ショピニスト」としました。 ホームページで僕自身の持論を語り続け、僕自身の裁量で全ての事が運んでいくわけですから、 まさに「何でもあり」です。ショピニストとは面白い響きではないか、これなら一度このサイトに来てくれた人には サイト名を覚えてもらえそうだ、そしてこの「ショピニスト」に「への道」と付ければ、まさに「ショパン道」を極めようと ショパンのピアノ曲に心中しかかっている僕自身の生涯の目標になるのではないか、これなら管理人も前面に出るし、 サイト名のインパクトも抜群だし、これ以上ないタイトルではないかと思ったわけです。 当サイトの知名度やインパクトが今現在(2015年1月現在)、どの程度あるのか分かりませんが、まずは成功と考えてよいと思います。

当サイト開設当時、既にYahoo! JAPANディレクトリに登録されるのは難関大学入試合格に匹敵するほどの難易度となっていると言われており、 僕の当時の最終目標がまさに、このYahoo! JAPANディレクトリ登録でした。 既に2002年末にはトップページベースで1日50〜60人を集めるサイトに成長していましたし、 掲示板でも3〜4人の男性常連客を中心に徐々にコミュニティーが形成されつつありました。 ショパンのマズルカやカテゴリーに属さないその他の作品の解説は未完の部分もありましたが、 どう見てももう立派なショパンサイトに成長したと胸を張って言えるという自信がついた段階で、2003年1月20日頃だったか、 Yahoo! JAPANディレクトリへの登録を申請したところ、一発で合格しました。 諸手を上げて大喜びでした。そして登録されたその日にそれまでの倍以上、1日180人ほどのアクセスがありました。 その後もアクセスは順調で、やはりYahoo! JAPANディレクトリ登録の威力は凄まじいものでした。 それ以来、僕は慢心してコンテンツ作成を怠りはじめ、掲示板の書き込みと訪問者をチェックするのが楽しみとなりました。 メールは当初思っていたほど来なくて寂しい思いをしていましたが、そのうち来るようになるだろうと気長に待つことにしました。

インターネットの理想を思い描き、野望を抱きながらの前進はとどまるところを知りませんでしたが、 この後は、掲示板への書き込みを呼びかけること、訪問者からのアクションを増やすための方策を考えることの方に 運営・活動の重点が移りました。当サイトはここで成長期から成熟期に移行したと言えます。

2003年も中盤に差し掛かると掲示板はさらに賑わい、1人また1人と常連客が増えてきたのは嬉しい限りでした。 しかもそれまでは男性客ばかりであったのが、そこにピアノ好きの主婦たち、女子中高生たちが複数加わり、 より華やかな雰囲気になったのは嬉しい限りでした。管理人の僕自身は、皆の質問に対して回答する「先達の師」としての立場を 取っていましたが、上から目線にならないように言葉遣いには細心の注意を払い、不快感を抱かせないように気を遣いました。 しかし中には当サイトの繁栄を快く思わない人間がいるようで、掲示板の荒らしに遭うことになりました。 また明らかな荒らしではなくても、管理人を非難する心無い言葉を投げる人も複数現れるようになりました。 その中には、同種サイトの管理人と思われる人もいたようでした。悲しいことです。

これについてはページを改めて詳しく説明する予定です。

「当サイトの歴史を振り返って」というこの章はひとまずここで終了とします。

次は「掲示板事件簿」です。

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